担当しているトレーナー達が、訓練や日常の中で気づいたことを綴っていきます。
日本人が異文化の人々と交わる場で後れを取らないためには、言語を磨く(多くの場合英語になるでしょう)ことは必須ですが、それ以上に大切なのは、如何にして「ためらい」の気持ちを断ち切るかです。今回のブログでは、まず日本人の「ためらい」について考え、続いて未来塾の訓練がその断ち切りにどう役立つかを見ていきます。
先月26日付の朝日新聞(求人広告欄)で、脳科学者の中野信子さんは、フランスのある研究所におけるご自身の勤務体験を基に、次のように述べています。「戸惑ったのは、たとえくだらないことでも皆がすぐ発言するということ。私は日本人的な感覚で、これを言ったら馬鹿にされるとついためらってしまう。その一瞬のためらいが差をつけます。」
日本人であれば、誰しもこの種の「ためらい」を理解できるはずです。出席者が全員日本人であれば、その場の雰囲気を見てから手を挙げ発言を求めても、十分間に合うでしょう。しかし、欧米の大学や研究所では、またたとえ留学先や赴任先の地域社会の集まりなどでも、「ためらい」がプラスに働くことはありえません。「ためらい」により、あなたの存在が限りなく無に近づく公算大です。
当塾の発音訓練の初期段階では様々な困難に直面します。おそらく最も大変なのが、アタック(*1)、つまり息と声を一塊のようにして同時に出すことだと思います。アルファベットでは A とか I に顕著ですし、文であれば冒頭の出だし部分です。日本語を母語としている者にとって、瞬時に息と声をタイミングよく出すことは至難の業ですが、英語のリズム作りには必須です。そのため「ためらい」は許されません。明快な英語音を獲得するには、嫌でも「ためらい」克服に挑戦せざるを得ないのです。
初級コース半ばから、日本語でのディベート導入訓練(*2)が始まります。いきなりディベートの試合をするのでなく、ディベート手法を使って、段階的に(英語で要求される)論理思考法を学びます。段階的なプログラムではありますが、各課題では全て時間制約の中で処理が求められ、「ためらい」とは無縁です。自分の番が来れば、たとえ頭真っ白状態でも、発言しなければなりません。そして、ディベートの試合であれば、自分の所属チームを代表しての主張展開が必要なため、その役割全うのためにはためらってなどいられないのです。
日本人である限り「ためらい」の根絶は難しく、その必要もありません。必要な時「ためらい」を断つ、すなわち制御ができればいいのです。それは誰にでも可能で、個人差はあっても、当塾の初・中級合わせた8か月ほどの訓練で、かなりの成果をあげられると自負しています。
過去の参考ブログ:
(*1)「アタック」(2010年8月25日掲載)
(*2)「ディベート導入訓練」(2011年4月30日掲載)
数日前わたくしは中津先生の夢を見ました。教室で訓練を担当しているのは先生ではなく、どうやらわたくしのようで、その近くで前方のある一点を見つめている姿でした。殆ど無表情で、訓練がうまくいっているか心配されている様子にも見えましたが、むしろ日本の行く末に思いをはせている感じに受け止めました。
最後の二冊の著書、『英語と運命』と『声を限りに蝉が哭く』の中で、中津先生はご自身の老婆心と前置きしながらも、非常に日本の行く末を気にかけていました。「猛獣社会」の世界の中で、自分の孫娘が何とか生き残れる日本にできないか、そのための術をどうするかについて述べています。
来る12月16日は総選挙です。中津先生が生きていたら、現状についてどのようにコメントされるかとても興味がありますが、わたくしの夢の中にでてきた先生の表情は決して楽観的なものではありませんでした。本当に心配されていて、「あなたたちしっかりやってよ」、「このような大事な時のために訓練をやってきたのよ」といいたげな感じでした。
訓練中に、また講演の中で、しばしば先生はその時々の政局に触れ、例えば森首相とか小泉総理とかの言動について批評されたりしました。これは政治がお好きだったからではなく、常に社会的な事象に関心を持ち、直接関係がないことでもできるだけ自らに引き付けてとらえ、他へ正確な情報として伝達できることが社会の構成員として大切との基本姿勢から来ています(*)。
誰に投票するか、どの党へ一票を入れるかは自らが最終的に判断しなければなりませんが、中津先生が生きておられたら、おそらく次のような忠告をされたことでしょう。一つは、どんなことがあっても投票所へ行って自分が信じる一票を投じるようにということ、もう一つは現在の政治の動きを歴史の座標軸に立ってよく見極め、決してかっこいい姿勢や美辞麗句をまとった一過性のムードに流されるな、ということだと改めて思うのです。
*過去の参考ブログ:「未来塾10カ条」( 2011年4月13日掲載 )
<ナガちゃん>
前回のわたくしのブログで、「今やろうとしていること」として、企業研修の件について述べました。今回は、公立小学校での英語導入と推進の動きに対して、未来塾の訓練が積極的に貢献できる道はないかについて述べたいと思います。
現在、公立小学校の現場において、具体的にどのように英語の授業が行われているか、概ねうまくいっているのか、それとも少なからず問題や混乱が起きているのか詳しくは知りません。只、想像に難くないのは、音声面に関しては、各教師にとってご苦労が多いのではないかということです。殆ど再教育がないまま実施段階に入り、結局のところ、ネイティブの指導助手(ALT)頼りにならざるを得ないのが実情ではないでしょうか。
どうしても手前味噌になってしまうのは避けられず、その点大変恐縮ではありますが、もしすべての小学校教師がせめて当塾の初級コースを受講されることができれば、音声面ではかなりのメリットがあるのではと密かに思っています。メリットは大きくいって三つあります。一つは、各教師が英語音について、A,B,Cといったアルファベットの基本にまで立ち返って、どのように音声をつくるかを学べますので、自信をもって英語の授業に当たれます。
二つ目のメリットは、こどもたちがALTや教材を通してきちんとした英語音を耳に残しているのに、日本人教師が日本語英語、すなわちカタカナ音を使ってマイナスの効果を及ぼすような事態が避けられます。これは少し酷な言い方になるかもしれませんが、頻繁にみられる事象ではないかと推測します。
三つ目のメリットとしては、初級コースを通して英語が基本的に要求するロジックと強い主張マインドもある程度学べますので、この点もしっかり踏まえてこどもたちに授業を行うことができます。
問題は如何にして時間を割いて、そのような研修の場を設定できるかです。毎週最低一回90分程度、期間としては3~4か月、一クラス20人程度の参加者による集団訓練で、上に述べたごく初歩の段階から簡単なスピーチ段階までの力を養うことは可能と考えます。まずは参加者の高い動機と覚悟が必要ですが、英語授業導入の成果をあげる一つの方法として、真剣に検討を進めていかれればと願うところです。
腹の立ったことを人に聞いてもらうことってありますか?
私は友人や家族、職場の同僚に、愚痴も含めて聞いてもらうことがあります。
「腹が立ったの、分かる、分かる」
なんて共感の言葉を言ってもらえると、スーと気持ちが楽になります。
未来塾中級コースのディベート導入訓練では、「腹の立ったこと」というテーマで、日本語による3分間スピーチを行います。「怒りの体験の説明を通して、自分を出す、主張する」ということをレッスンのねらいにしています。
もう20年位前になりますが、私は、職場の上司の無責任な態度を題材に「私の腹の立ったこと」を発表しました。それは、それまでの私の人生の中で一番腹が立った出来事でした。発表しながらもムラムラと怒りがこみ上げてきましたが、なんとか冷静さを保ち、わかってもらえたのではないかと思いながら発表を終えました。
すぐに出されたコメントは次のようなものでした。
「腹を立てている様子は感じられたが、上司の問題点をいろいろと述べているだけで、何に対して怒っているのかよく分からない。」
私は愕然としました。
「こんなに腹を立てているのに、何故分からないの?」
と、ショックを感じ、しまいにはコメント自体に腹を立てていました。
しかし、自宅に帰って頭を冷やし、録音テープで他の人達の発表やそれらに対するコメントを聞き返し、さらに自分の発表を聞いてみると、出されたコメントが的外れではなく、まさに指摘の通りだと思い知らされました。
ディベート導入訓練では、事前に次のような留意点が示されます。
・ 何故腹が立ったのか、何に対して腹が立ったのか、明確にすること
・ 聞き手(自分を知らない人、職場の人や家族ではない)の共感を得るように意識する
これらの留意点を説明され、自分では分かっているつもりでした。ところが、私の発表は言葉できちんと何に腹が立ったのか説明しておらず、家族や友人、つまり身内が分かる程度の情報しか入れていなかったのです。これでは他人の共感を得ることはできません。
「腹の立ったこと」を発表して、私は異文化とはどういうものであるかを少し知ることができました。
先日、久しぶりにTOEICを受験しました。聞き取れない音は一つもありませんでした。これまで受験用の勉強というものをしたことがなかったのですが、今回は事情があって、長文問題の問題集だけは試験前に一冊取り組みました。
これまでにTOEICは三回受験したことがあります。正確な時期はおぼえていないのですが、最初に受験した時は、まだ未来塾の訓練を受けていない頃でした。確か700点台だった記憶があります。特にリスニング問題で聞き取れない問題が結構ありました。
その後、未来塾に入塾し、毎回訓練中に中津先生やトレーナーたち、他のトレーニーたちの音をひたすら聞き、先生やトレーナーからのコメントを元に、丹念に自分の音を作っていく、というプロセスが初級、中級をとおして2年間続きました。発音にはまだまだ自信が持てませんでしたが、聞き取り力は自分でもかなり進歩している実感がありました。
そこで、再度、力試しにTOEICを受験してみました。今度は860点でした。特に、そのための準備や勉強をしていないのに、思いがけない点数がとれて、自分でもびっくりしました。
上級に進み、後輩たちの音を聞いてコメントを出す立場になりました。自分の音つくりだけの時の数倍の神経を使って、トレーニーたちの音を聴くことになりました。
ふと気付くと、英語のニュースがとてもよく聞こえ、映画も字幕が必要なくなっていました。どれくらい力がついたのか知りたくなり、三度TOEICに挑戦してみました。今度は955点。やった~、と思いました。
前述したように、TOEICの受験用にリスニングの「勉強」をしたことはありません。毎週、未来塾の訓練で耳をきたえ、録音された自分の音、他人の音にひたすら耳を傾け分析し続けた結果です。
さて、今回の結果はどうなるのでしょうか?最初に全て聞き取れた、と申しましたが、実は、一問聞き逃しました。聞き取り能力とは関係がなく、途中、ふと「あ~、まだあるのかぁ」と心がさまよった瞬間がありました。気付くと1問終わっていました。集中力が一瞬とぎれてしまったのです。英語力だけではどうにもならないこともありますね。
成人を対象にした週末の異文化対応訓練の他に、今未来塾が取り組んでいるプロジェクトが二つあります。一つは新テキストの出版であり、もう一つは主に企業(人)を対象とした平日の訓練の実施です。前者については、別の機会にご紹介しますが、ここ10年程の実践結果も踏まえ、研修用のテキストとしてだけでなく一般の読み物としての出版を目指しています。
さて、企業向け研修についてですが、今の段階は、如何なる企業に対して、具体的に如何なるニーズに対応できるか検討をしているところです。最も大切なのは、企業といっても数多ありますので、ある企業を例えばA社とすると、A社が社員の方の人材教育として何を求めているか、その具体的なニーズの正確な把握であると思います。
同時に大切なのは、当未来塾が如何なる手助けを企業研修向けとしてできるのか、具体的な術を示すことだと思います。この点に関して、わたくしは次の3点を挙げます。
(1)各社員のコミュニケーション力の向上
肉体訓練を通して発声・発音が良くなる。英語だけでなく母語である日本語の向上も期待できるので、社員同士、取引先、更には客先との意思疎通がはかどり、業務遂行能力が高まる。
(2)各社員の異文化対応力の向上
異質なものを事実として冷静に受け止め、対応方法を練り、行動へと向かう方法をディベート導入訓練により学べる。
(3)社会的な使命貢献に誇りを感じる社員の養成
企業目的の遂行だけでなく、より広い観点から課題を見据え問題解決に取り組む姿勢の大切さを、課題文のプレゼンテーションや意見形成訓練により学べる。
これまで個人に対して、主に発音の向上を目指した訓練を行ってきました。加えてこれからは、企業単位で早急に人材のレベル・アップを図らねばならないという時代のニーズをひしひしと感じます。それに対して、わたくしたちは正面から取り組み、自分たちの社会的使命を果たす道を探っているところです。
「耳をダンボにする」という喩えは死語かもしれません。言い換えると、「耳をそばだてる」、「耳を澄ます」ということです。日本人の英語を聞いてイギリス人がハッとして全身を耳にした、そんな体験をした未来塾の先輩の話をご紹介します。
私が未来塾の中級コースを終えようとしていた頃ですから、今からおよそ4半世紀も前のこと、当時トレーナーとして中津先生のサポートをされていたHさんが1ヶ月間のイギリス旅行を実現し、その体験を受講生の前で話されました。
Hさんは、当時主婦業の傍ら自宅で英語塾を開いていた50代の女性です。教師が中心となって発足した「発音研究会」に参加し、未来塾を手伝うようになるまでの10年近くも発音を磨き、さらに英語のスピーチ大会に参加するなどして英語による発信力も鍛えて来られていました。そして、彼女にとって外国旅行はそれが初めてでした。
お話からは、旅行をとても楽しまれたのがわかりました。1週間ほどの湖水地方へのバスツアーに参加した時は、ガイドの話す英語の説明もよく聞き取れ、質問も臆せずできました。ツアー客同士での英語でのやりとりも問題なく、ユーモアを交えた会話を楽しめるほどだったそうです。
旅行中のある時、ほしいものがあってスーパーマーケットに入り、レジの女性に、“Could you ~ ?” と話しかけた時のことです。途端にそのレジ係のみならず、左右のレジ係もハッと手を止め、聞き耳を立てたと言うのです。なぜかシーンとなった店内。
「あわわ・・・、いったい何事が起こったの?」ととまどったHさん。明快な発音、通じる発音以上のものがそこにいたイギリス人達に伝わったのです。Hさんはわめいたわけではありません。「K」の破裂をしっかり作り、おそらく完璧に近いリズムで“Could you ~ ?” と話しかけただけです。
この時起こったことを次のように分析した塾生がいました。その時のHさんの英語がQueen’s English だったのではないかと。上流階級の人々が訪れそうもないスーパーでそれが聞こえた際の反応だったのではないか、というある塾生の説明に、なるほど、と思った私でした。
このエピソードは、欧米の音声重視文化の一端を表すものとして私には忘れられないものとなりました。中津先生は、レッスンの際に、発音が汚く聞こえる、だらしなく聞こえる、ということを率直に指摘されました。そのような発音によって損しかねないことをよくご存じだったのだと思います。Queen’s Englishを目指すかどうかは個人の自由ですが、未来塾では、少なくとも他人が耳を貸そうとする発音を目指していることは確かです。
わたくしは1988年10月、当時(神田)猿楽町にあったバベル翻訳・外語学院(現BABEL UNIVERSITY)の一講座、東京未来塾に5期生として入塾しました。同期生約30名のうち男性は3分の一ほどと記憶します。40歳と7か月、同期の中で年齢は高い方でした。
発音をもっと良くしたい、英語力を更に高めたい、未来塾の訓練は何かそれに応えてくれそうだとの一心で受講を決めました。それからの24年を振り返ると、大きく2分されることに改めて気付きます。中津塾長の下で過ごした最初の12年、そして仲間と自主運営組織を立ち上げて現在に至る12年です。
今年2月、わたくしは40数年の会社勤めから離れました。これまでの24年間、平日は仕事最優先で、塾活動は週末の土曜日中心といったパターンで過ごしてきました。でもこれからは平日も使えます。現在64歳の半ば、あと何年現役のトレーナーとしてやれるかと自問します。常識的に考えて24年は無理でしょう。でも、その半分の12年はできるかも、といった感じです。
未来塾の表看板は「発音」ですが、奥行きはかなり深いものがあります。全体像を一口で言い表すことは至難の業です。わたくしは音声表現の魅力に取りつかれてここまできましたが、今最大の関心事は、強い動機をもつ受講生の悩み解決です。ともに歩みながら、その解決策を探ることです。内憂外患の日本、その各分野で最前線に立つプロフェッショナルを、音声面を含めた未来塾の術を駆使して支えることができたら、それに勝る喜びはありません。
仕事で子供に英語を教えています。年齢は、小学生前から中学1年生までです。
今は、親の教育熱心さもあり、子供たちも結構たくさんの「英単語」を知っています。また、世の中にはカタカナで書かれた外来語がたくさんあり、いわゆるカタカナ英語も氾濫しています。このカタカナを読んで、英語を発音している、と思っている人(子)もたくさんいて、通じる英語の発音修得を邪魔していると思っています。
ある日、幼稚園児2人と小学一年生3人で構成されるクラスで、トラの絵を見せて、“What’s this?” と質問しました。即座に “It’s タイガー!!!” との答えが返ってきます。 “Yes, it’s a tiger. Very good. But タイガー is not English.” と言うと、きょとんとした顔。「タイガーっていうのは、英語じゃないよ。」???
えっ?という表情の子供たちに、「舌を上の歯の後ろにつけてみて。そうそう、それで、舌にギュ~ッと力をいれて。そして・・」といって、息で舌をはじきます。子供は真似っこが得意です。いっぺんで t の原音ができてしまいます。
「もう一回ね。舌を上のあごにつけて~。押さえて。はい、tiger! 」 “tiger!” もう、タイガーと言う子はいません。今度は、拍手を1つしながら、tiger と言ってみます。拍手をする間に tiger は発音終えています。「じゃあ、もう一度手をたたきながらタイガーって言ってみて。」拍手を終えた時点では、「タイ」しか言えず、「ガー」が残ってしまいました。「ねっ?タイガーはtiger と違うんだよ。英語では tiger って言ってね。」
子供と違って、大人がカタカナ英語から、英語として通じる発音を学び直すのには、もう少し時間がかかります。「トラ」を「タイガー」と言えば、英語を言っていると思ってきた期間が、子供よりはるかに長いですからね。
※過去の参考ブログ:「強い虎かダメ虎か、決め手は何?」(2011年6月23日掲載)
夏まっさかりの時期になると思い出す出来事があります。それは中津燎子先生が東京で1998年7月の末に開いた夏期英語集中講座で起こったことです。
この集中講座は、社会人を対象に夜6時から9時の時間帯で3日間の日程で開催されました。講座の内容は未来塾が1年間かけて行うレッスン内容を凝縮したものでした。20人くらいの参加者のほとんどの方々は、昼間仕事をしてから講座に参加されていました。当時、サブトレーナーとして講座の観察をしていた私は、暑くて湿った夜の大気に疲れを感じつつ、こんな時でも講座に参加される皆さんの熱心さに感心していました。
講座初日の冒頭、中津先生が各参加者に、受講目的を尋ねていた時のことでした。20歳代の女性が話しながら、泣き出してしまったのです。その女性は、アメリカの大学に留学していて、夏休みを利用して日本に帰国し、講座に参加していました。泣きながら、彼女が訴えたことは、「留学先で自分が話す英語が通じず、相手にしてもらえない」ということでした。私には彼女が一生懸命英語の勉強をして、やっとアメリカ留学という夢を実現。ところが、自分が話す英語が通じず、希望を失い、孤立感を深めた心中を吐露したように見えました。
中津先生は彼女をじっと見つめ、黙って話を終えるのを待っていました。そして切り出しました。「日本にいるネイティブの人達は日本人のカタカナ英語を理解してくれる。しかしアメリカに住んでいるアメリカ人にはカタカナ英語は理解できない。何を言っているのか理解できない人を、彼らは相手にしない」という内容をきっぱりと言いました。先生はこのような日本人留学生を何人もアメリカ滞在中に見てきたようで、その経験から事実として冷静に伝えていました。
その日の講座が終了すると、先生は彼女を呼び、あと何日間で留学先へ戻らなければならないのかを確認し、講座での英語の音作りをしっかり覚えるよう励ましました。さらに、留学先に戻る日まで個人指導を行ってもよいと提案していました。その後、実際に個人指導まで行ったかどうか、そして留学先で彼女が話す英語が通じるようになったどうか、確認できてはいませんが、講座修了時、カタカナ英語から脱却しつつあったことを思うと、きっと通じる英語音を作れるようになったに違いない、と確信しています。
私の記憶には、中津先生がその後私たちサブトレーナーに語った言葉が、宝物のように残っています。それは、「たとえ数日間の講座で英語の音が身につかなくても、作り方を分かっていることがまずは重要である」ということです。
私はこれを聞いて、確信しました。英語の音の作り方を学び、その音を実際に聞いたことがあれば、日本で育った日本人でも、日本を出たとき、通じる英語音を作っていくのは十分可能であると。