二重子音、三重子音

投稿日:2010年11月25日

“Twinkle, Twinkle, Little Star…” これはお馴染みの童謡の冒頭部分です。当塾のテキストにも掲載されていて、初級コ-ス中盤の「詩の音声表現」に使います。さて、この歌詞1行に二重子音、三重子音がいくつ含まれているでしょうか。
 
二重子音としては、TwinkleのTwが2回、それとStarのSt。
三重子音としては、Twinkleのnklが2回、それとlittle のttl。
 
従って答えは3個ずつです。Littleのttlについて、音としてはTとLの二つだけなので、三重ではなく二重子音と捉える向きもあるでしょう。ただ、未来塾ではこのような場合、tを二つ分出すように指導していますので、ここでは三重子音として数えます。
 
ご承知のように、日本語には子音のみの連続はありません。「母子分離」の項で説明しましたが、日本語では子音が独立して発音されることはなく、母音に吸収されるように感じられるほど母音べったりです。従って、日本語に引きずられると、TwinkleのTとWの間、更にKとLの間に母音「ウ」が入り、子音の連続とはなりません。
 
TwinkleやLittleに限らず、二重子音や三重子音を有する単語は沢山あります。その度に母音が間に入ると、相手にとっては当然聞きづらくなります。英語のリズムも作れません。素早い舌の動きとしかるべき口形、それに息の利用が重要です。息に勢いがあると舌の動きを助け、子音の連結を容易にすることができます。
  
二重子音の作り方の具体例を、冒頭の歌詞にあるStarを利用して見てみましょう。 Sは上下の歯を軽く合わせ、その間から強い息を通過させて作ります。Tは、Sを出したと同時に、舌を素早く上の前歯の付け根に押しつけて出し、ARへ繋げます。ポイントは、息の力を利用して、上から下に一直線に降りる感じで、一拍で作ることです。
 
英語の辞書でStの項を追っていくと、三重子音のStrではじまる単語が少なからず出てきます。Straight, Strange, Struggle等々。ここでは詳しく触れませんが、Stで十分息があり勢いがついていると、あとは舌の移動が素早くできれば、発音自体それほど難しくありません。三重子音は二重子音の応用に過ぎないからです。
 

<ナガちゃん>

相手(聞き手)無視の早口

投稿日:2010年11月17日

未来塾に入る前のわたくしは、日本語でも、英語でも、早口はいいことだとの概念をもっていました。勤め先で人から「早すぎるので、もう少しゆっくり話して」と言われても意に介さず、分からないのは「聞き手に問題あり」という受け止め方で、今考えると実に傲慢な心構えでした。
 
「早口はいいこと」に少し疑問を抱いたのは、塾に入って一年ほどしてからでしょうか。英語の文章を読み始めると、「早過ぎるので、もっとゆっくり読むように」とのコメントがトレーナーから度々出ました。増幅法と呼ぶ方法で、唇や舌を含めて、自らの発音器官を総動員して英語音を作りますが、初期段階では当然口が回りません。急がずに一つ一つ作る以外ないのです。
 
また、ブック・レポートという課題を通し、日本語でのプレゼンテーションをしますが、聞き手に発表内容を理解してもらうには、話す速度が一つのキーポイントであると学びます。「早口は果たしていいことか?」自分への問いかけがはじまりました。
 
その結果、次の二点に気づきました。
(1) 早口は単なる自己満足に過ぎない。
(2) 相手(聞き手)との接触を早く断ち切りたいとの気持の現れである。
 
少し補足します。(1)ですが、聞き手の理解度合いを考えずに、自分の主張は効率的に述べたつもりになっていた。(2)について、実際には、自分の考えに自信が無く、早く切りあげたいとの潜在意識が働き、話す速度が増していた。心の底では相手とのコミュニケーションを避けていたのでしょう。
 
早く話す傾向がわかっても、治すのは容易ではありません。わたくしの場合、上記の気づきから少し時間が経った頃、話している途中でも「あっ、今早くなってきたな」と感じ、その時点で速度を落とせるようになりました。
 
早口は「いいことだ」から「よくないことだ」への認識の変化を経て、相手無視に繋がる早さから、聞き手が受け止められる速度へ自己調整する。他人とのコミュニケーションを図る上で、わたくしにとって一つの大きな進歩でした。
 

<ナガちゃん>

コメント、生かされてこそ

投稿日:2010年11月10日

コメントとは、トレーナーが受講生に対して出す事実の指摘や注意、助言や提案のことです。例えば、「舌が震えています」とか「口のたて開きが足りません」、「舌にもっと力を入れて、真っ直ぐ前に出してください」とか「息の塊(かたまり)を最初にください」等々です。訓練が進むにつれて、コメントの具体的な内容も変化していきます。
 
訓練用テキストには、コメントに関する注意点(受講生に対する)として、「コメントを情実抜きに分析し、次のステップの参考にすること。また、コメントを人格批判と取り違えないように注意」とあります。加えて、「コメントで分からない部分は、推察したり、そのままにせず必ず聞き返して、コメントの内容を確認すること。」
 
トレーナーは適宜コメントを出しますが、受講生がそれを冷静に受け止めたうえで、生かしてこそ初めて意味をもちます。どんなに的確なコメントであっても、受講生がその内容を理解できないとか、心理的に受け入れを拒否した場合には、宝の持ち腐れになります。トレーナーとしても残念であり、空しい状況です。
 
わたくしがトレーナーの見習いになって2、3年経った頃だったと思います。ある受講生の発表に対してわたくしがコメントし、さらに中津塾長がコメントを加えられたときに、「どんなに素晴らしいコメントが出されても、それを受ける側に受け入れていく準備がないと、無駄になってしまう」といった趣旨のことを言われました。
 
わたくしは自分自身のコメントが褒められて、嬉しくなったことを憶えています。しかし、塾長の発言のねらいは、わたくしのコメントを褒めることではなく、出されたコメントの内容を「よく分析し、生かすように工夫しなさい」ということを受講生に伝えたかったのだと思います。
 
コメントを出す側としても、受講生が前向きに受け取れるような提示の工夫が常に必要ですし、それには自分が初級や中級のときに体験したことを折に触れて思い返し、自らに引きつけてコメントする大切さを改めて肝に銘ずるのです。

<ナガちゃん>

 

塾の鉄則、自らへの引きつけ

投稿日:2010年11月3日

今でも忘れません。初級生のとき、ブック・レポートという課題があり、原稿(日本語)を提出しました。所感として末尾に、「21世紀に向けて日本人の真価が問われる」と書いたところ、塾長から短いコメントが朱筆で付され、返ってきました。「21世紀に向けて日本人の真価云々ではなく、あなた自身がこの問題に対しどう取り組み解決していくのか、それを述べるように」といった内容でした。
 
頭に一撃を食らった感じでした。自分をどこか脇に置いて問題を眺めコメントする、そんなアウトサイダ-的な視点からでは相手を納得させ、動かせる所感にはならない、ということだったと思います。日本語であれ、英語であれ、「問題をしっかり整理した上で、自分が当事者だったらどう取り組むのか、十分自らに引きつけて述べることが重要」ということをこの朱筆のコメントは教えてくれました。
 
「自らへの引きつけ」、この視点はその後トレーナーになってからも常に要求される重要ポイントです。受講生が抱える課題は、見た目には共通点もありますが、実際には受講生ごとに違い、対処方法も異なる場合が普通です。トレーナーとしてどうするか。その際に頼りになるのは自分の体験です。初級や中級の時に自分はどうであったかを思い出す。それにより、単なる紋切り型の対処療法に堕す危険を回避できます。
 
現行のカリキュラムには「ブック・レポート」はありませんが、代わりに初級コースの後半に、「ニューズ・レポート」や「賛成か反対か」といった訓練があります。いずれも新聞記事を読み、その内容をまとめて概要として提示、次に、その記事に対する自分の意見を述べます。如何に自らに引きつけた意見にできるかが、一つのポイントとなります。
 
国際的な交渉の場において、日本の存在が希薄であると報道され、わたくし自身もそのように感じることが多々あります。英語が母国語でないといったハンデもあるでしょうが、如何に説得力のある意見を形成できるかが肝要です。普段から社会的な問題に対して、自らに引きつけて捉え、考え、意見形成する訓練を積む必要性を強く感じます。
 

<ナガちゃん>