担当しているトレーナー達が、訓練や日常の中で気づいたことを綴っていきます。
中津先生が亡くなられて2ヶ月余りが経ちました。
蝉のかしましい鳴き声を聞くと、中津先生が昨年7月に上梓された『声を限りに蝉が哭く』が思い出されます。この本が無事先生の存命中に出版された時、「編集者から『先生、間に合いましたね』って言われちゃってさ」と苦笑まじりに話されていた中津先生が、今はもういません。
6月末から7月初めにかけて訃報をお送りした中津塾長時代の塾生やメール配信サービスに登録されている方々より多くのお悔やみの言葉が寄せられました。また、未来塾を運営している私達にも励ましの言葉をいただき、心より感謝申し上げます。
たいへん遅くなりましたが、ここに皆様の思いの一部を紹介させていただきます。お悔やみの言葉については割愛させていただき、それ以外からの抜粋です。
「とうとう逝かれてしまわれたのですね」(つくば市のWさん)
「1度も中津先生にお会いすることはできませんでしたが、大変残念に思います」(昨年の受講生、Tさん)
「トレーナーの皆さまを通じ、中津さんの発音指導およびそのスピリットにふれられたことはとてもよい経験でした」(昨年の受講生、Mさん)
「中津先生は私の目標でした。今でもそうです」(T.T.さん)
「私の教師生活にとっても、また、これからの生き方にとっても、中津先生はとても影響力のあった方でした」(Iさん)
「中津先生の書物にふれられた事や、同時代に生きられたことを大変感謝します。先生に分けていただいたエネルギーは大きくずっと力になっております」(Sさん)
「お会いしたことはありませんが、中津先生とのお付き合いはかれこれ40年近くになりますので、ものすごい衝撃でした。お知らせをいただいてから書棚の先生の本を眺めてしばらくぼうっとしておりました。
・・・・・確か高校の高学年になり、中津さんを知るようになり、「原音」の概念に俄然興味を持ちました。・・・・・その後ドイツ語をやるようになり、中津さんの本がものすごく役に立ちました。するどい観察眼というか、中津さんの耳に敬服しております。中津さんの本に出会うことができて本当に幸運であったと感謝の念に絶えません。語学だけではなく、社会現象もろもろの観察眼もものすごくするどかったですね。ご著書の中で指摘していらっしゃった国や大学教授の無責任さやいい加減なところも現在原発の事故に関してまさしく味わっていますよね。本当にすばらしい方でしたね」(ドイツ在住のTさん)
「私が大学に入って間もなく、18才の時に先生の『なんで英語やるの?』のご著書に出会い、それから30有余年、私と英語との関わりの中で先生のお言葉は、いつも私の原点でした。私の周囲に、この感覚を共有してくれる者は誰もおりません。常に私は一人でした。日本人には理解者はいなくとも、英語を通じて得がたい友に何人もめぐり合うことができました。18才の時、先生に光を当てて照らしていただいた道を、私は歩んできたのだと思っております。
一度もお会いすることはできませんでしたが、先生は私にとってかけがえのない心の師でした」(Tさん)
「先生の御存命中に、先生の教えが、日本の英語教育の主流にならなかったのはとても残念です。20年近く前アメリカに住んでいた時、『OCSNews』という日系人向けの新聞に連載されていた先生のご著書の一部を読み『日本人でこんなに明解な女性がいるのだ!』と驚いたことを昨日のことのように思い出します」(N.T.さん)
「とても悲しいです。つい数ヶ月前に『声を限りに蝉がなく』を読みました。大変感動しました。なんて文章の上手な方なんやろうと思いました。
本を通してではありますが、英語を勉強するうえで大切なこと、誰も教えてくれなかったことを教わりました」(K.W.さん)
「先生から教わったことを、子供たちに引き継いでいきたいと思います」(元塾生のMさん)
「もっともっと先生と話がしたかったのに、と思うと残念でなりません。でも、まだ先生はどこかで生きていらっしゃるような気がしてちょっと変な感じです。あれこれ先生との思い出がいろいろと浮かんでは消え、気持ちの整理がまだつきません」(元塾生のHさん)
「思い起こすに何より自分自身20歳という年齢で未来塾に通いだしたことは自分にとって単なる語学の訓練を超えて、自分という人間を創る上での大きな柱の一つになったことは間違いありません。・・・・・・・
『自分自身』と『社会(文化)』にどこまでも真剣に対峙して自分の居場所と生きる道を創っていかれる先生の姿には、そのエネルギーに圧倒される感覚と同時に自分の『闇』の中での『北極星』を見る思いがしていました。自分も何があったとしても『自分自身』と『社会』の両方をフェアに見据えて、歩んでいけば、いつか自分だけの星を輝かせることができる。そう思えたのです」(元塾生のF.S.さん)
「中津先生が亡くなられたなんて、いつかはその日がくることを考えないわけではなかったですが、いざそうなるとやはりとてもショックです。
ほんとになんと言っていいか、言葉になりません。中津先生のお姿やお言葉が脳裏に鮮やかに蘇ってきます。・・・・・
中津先生が、『この先日本は滅亡してしまう。』とおっしゃられていたことが、3.11以来、ずっと頭にこだましていました。中津先生がずっと指摘され続けてきた日本の中の無責任体制によるあまりのひどい惨状に、『中津先生がおっしゃられていたことが遂に現実化してしまった。』と思い、私自身これから何をすべきか、ずっと考えておりました」(元塾生のK.S.さん)
「学生のとき、本屋さんでたまたま「なんで英語やるの」を見つけてたちまち魅了されました。東京で中津先生から直接訓練を受けられることを知った喜びは忘れられません。
そしてあの厳しくも厳しい訓練の日々。しかし、それまで使わなかった頭をフル回転させることは今までに無い喜びでもありました。
日本の一隅に日本人に必要な真のLiberal Arts Collegeが出現していたと思います。
ああ残念。寂しい。先生のご尽力に心から敬意を覚えます。先生ありがとうございました」 (元塾生のYさん)
いきなり私的なことで恐縮ですが、わたくしが未来塾の訓練を受け始めてから約23年が経過します。もし今「得られた一番大きな成果は何でした?」と問われれば、迷わず「耳が肥えたこと」と答えるでしょう。音に対する分析力が鋭くなった(自画自賛になりますが)と思うからです。よく授業中にも受講生に対して言いますが、「あなたの日本語(英語)を聞けば、今どのくらいお腹がすいているか、当てることすらできますよ」と。もちろん半ば冗談ですが、残り半分は本気でそのように思っています。
個人差はありますが、訓練を始めて数ヶ月たつと(真剣に取り組んでいることが前提です)、やたらに周囲の音、特に人の話し声が気になりだします。例えば、
テレビでニュースを伝えるアナウンサーの声、駅や鉄道車内での音声による案内や乗客の会話、等々。
教室での訓練時や録音テープを聴いている時、自分の発する音声についてはなかなか客観的に把握できませんが、他人の音、すなわちトレーナーや自分以外のトレーニーが発する音は、比較的冷静に捉えられるようになります。たとえば、初級コースの後半で使うスピーチに次の一節があります。
“In you! You, the people, have the power—the power to create machines. The power to create happiness! You, the people, have the power to make this life free and beautiful—to make this life a wonderful adventure.”
(チャップリンの映画「独裁者」より)
この中には、Pで始まる単語がpeopleとpowerの二つあり、前者は2回、後者は4回出てきます。これら二つの単語に関して、発音のポイントは冒頭のPの破裂が出せるか否かにかかりますが、同じ人がこのスピーチをやっても、出来具合は同じにはなりません。最初のpowerのPは破裂が出ていたが、二番目と三番目は破裂不足、そして最後のpowerは程々の出来、といったようなことがしばしば起こります。
このような音の違いを耳で捉え、瞬時に分析できる力が訓練過程で養われます。すなわち耳が肥えるのです。最初から特別の聞き分け力がなくても、目的意識をもって日々研鑽すれば、これまで述べた「耳が肥える」実感は誰にでも訪れると言えましょう。
未来塾の訓練は2本の柱から成ります。一つは音声、もう一つは論理的思考です。音声は日本語音から脱し、相手に分かる(通じる)英語音へ、自分の肉体を使って作ります。他方、論理的思考は、相手に伝える中身(考え)を如何に分かる(通じる)ものにするかで、筋道の通った説明をするための思考です。後者の訓練の出発点は、このブログのタイトルである、事実と意見を分けることです。
一見難しそうですが、簡単です。一つ分かりやすい例で説明します。
「アメリカ合衆国の初代大統領はジョージ・ワシントンである。」これは事実です。誰もこれに反論はできません。
次に「ジョージ・ワシントンは偉大な大統領であった。」これは意見に属する部分で、人により異なるはずです。「何故偉大と思うか」ある程度の証拠が必要ですし、「偉大」の定義もあったほうがいいでしょう。
何故分ける訓練をするかですが、それは人間の思考の中で事実と意見が渾然一体になっていることがよくあるからです。新聞記事などでも、それほど明確に分かれていません。試しに、コラムを一つ選んで、例えば朝日新聞の「天声人語」でもいいです、事実と思われる部分と記者の意見の部分を異なる色のマーカーで線を引いてみてください。
色分けがはっきりしているほど、わたくしは読み手にとって分かりやすい記事と言えると思います。別の言い方をするとこうです。自分がある事柄に意見を述べる場合、当然意見形成が必要ですが、それに先立ち関連する事実をしっかり押さえておく、それができていると意見形成がやりやすくなるのです。
何が事実か、それだけで議論を尽くすことができますし、意見をお互い述べる前に事実確認を行っておくことはとても大切なのです。その上で、各自が考えた意見を述べ合う、その時にはそれをサポートする事実を証拠としてあげることで、説得力が増します。未来塾では初級の段階から、ゲームや新聞記事の要約訓練等を通して、事実と意見を分ける習慣をつけていきます。