なぜ未来塾のスピーチ訓練では原稿の暗記を奨めないか?

投稿日:2011年10月13日

これまで何度も言及してきましたので、ご存知の方も多いかもしれませんが、未来塾では初級後半でDictatorのスピーチを、そして中級では I Have A Dreamのスピーチを課題文として練習します(*)。その際、受講生にスピーチの内容は暗記させません。特に禁止もしていませんが。それはなぜか?わたくし自身この件につき深く考えたことはなかったのですが、先日あるきっかけから、一度よく考察しておくべきと思い、今回ブログで取り上げます。
 
先月終了した初級コースの発表で、ある受講生が課題文を暗記して臨みました。しかも通常は、課題文の前半もしくは後半部分のどちらかを選び発表しますが、彼は前後半合わせた全編の音声表現に取り組んだ上でのことでした。さてその結果ですが、まず音声表現については、子音は十分な息と強さを伴っていましたし、内容表現の面でも初級生のレベルとしては十分すぎるものでした。暗記については、途中でつかえることもなく、手元のテキストを見ずに発表をやり遂げました。つまり、ほとんど完璧だったのです。
 
普通であれば、暗記の件を含めて、賞賛の言葉以外は彼に対して発せられないはずです。ところが未来塾のトレーナーの講評はというと、発表内容そのものはほぼ完璧と認めつつ、原稿の暗記については再考を促す、すなわち「暗記をお奨めしない」方向でのコメントが出ました。
 
わたくしなりに、今回の少し長いテーマ「なぜ未来塾のスピーチ訓練では原稿の暗記をめないか?」に回答を試みてみました。それは取りも直さず、未来塾のスピーチ訓練の目的を考えることに直結します。この訓練の主眼は、課題文であるスピーチの内容を各受講生が自分なりに解釈し、それを自らの音声で最も効果的に聞き手(聴衆)へ表現(アピール)できるように、とことん考え発表の直前まで検討し、その結果を発表の場で出し切ることにあります。
 
従って、課題文を暗記する間や余裕は本来なく、もし多少でも余力があれば、自分の音声表現に完璧を期すためにそれを使うべきなのです。スピーチを表現している最中も、暗記した内容を思いだすことに注力するよりも、(多少くどくなりますが)自らが発している音声を常に客観的に捉え、100%の成果をあげる方向に力を活用することが、訓練の目的にあいます。
 
発表後、前述の受講生は自分の席に戻るや、「あー疲れた」と声を発しました。3分以上のプレゼンテーションで本当に疲れたのでしょう。でもそれに対してわたくしは、半分冗談交じりで苦言を呈しました。それは、スピーチが終わったところから、呼びかけた行動が開始されるのに、終了と同時に呼びかけ人がぶっ倒れては困る、と述べたのです。
 
生前中津先生は「何時いかなる場合でも、(ご自分の人生の中で)、生き延びるための余力を常に持つように心がけてきた」といった趣旨のことばをどこかで述べておられました。それが、わたくしの苦言の背景にあったことに後で気がつきました。たとえ僅かでも余力をもって発表を終えることも、必要な訓練の一環と考えます。 
 
(*) Dictator:Charlie Chaplin 監督・主演の映画The Great Dictator「独裁者」(制作1940年)の最終場面で演じられるスピ-チ。
I Have A Dream:Martin Luther King Jr.牧師によるワシントンDCでのスピ-チ(1963年8月28日全米各地から集まった大聴衆を前に演じられた)

<ナガちゃん>