担当しているトレーナー達が、訓練や日常の中で気づいたことを綴っていきます。
まず中津先生の耳(聴覚)について。確か解剖学者の養老孟司さんだったと記憶していますが、中津先生とのある対談の中で、「あなたは全身耳ですね」といった発言をされたとか。具体的に何をもってそのように感じられたかはわかりませんが、鋭い聴覚の持ち主として強烈な印象を養老先生に与えたのでしょう。幼時をロシア語の中で過ごされ、戦後はGHQの電話交換手の仕事を通して英語音に対する聴覚に磨きをかけられた。その後約10年間米国に暮らし、異文化と人種差別の中でのサバイバルによって益々聴覚が鋭くなったに違いありません。
でも、わたくしが実際に訓練を受けて最も凄いと感じたのは、先生の声です。
各受講生は必ず訓練内容をすべて録音し、宿題としてそれを次回までに聞き返して来ます。録音テープを聴いて驚くのは、先生の声の明瞭さです。機器は自分の目の前に置いて録音したのに、わたくし自身の声より、教壇のところに座っている先生の声の方が明瞭に入っているのです。何故?テープを聞き返すたびに、良く通る声とは何か、どうしたらそれを出せるのか、考えさせられてしまいます。中津先生は滞米中にボイス・トレーニングを受けられたそうですが、
ロシア語をルーツにした迫力ある声に加え、ご自身で研鑽を積まれた結果として獲得された声なのでしょう。直接的に確認する術はもうありませんが。
先生はGHQの交換手時代のことを授業中に時々話されました。当時は終戦直後であり、電話機の台数はまだ少なく、また軍の施設ですので、電話をかける人とその電話を受ける人との間には必ず交換手が介在しました。直接聞いたお話の一つで、記憶に残っていることがあります。それは、話す音を下げることについてです。特に電話の相手が激高しているような時の留意点として。相手がどんなに大声でわめいても、ひたすら冷静に、低い声で応対することが大切と言われました。こちらも声を荒げて怒鳴り返すようなことは、プロの交換手としては絶対してはいけない事項で、わたくしなどは、男性女性の違いはさておき、全く勤まらないと思いました。
昨年10月中旬、先生との茶話会が大阪のご自宅近くの公民館で催され、わたくしを含めて数名、東京から参加しました。会場に到着すると既に講演が始まっていました。第一印象は、3年前に東京でお会いした時に比べて、お声の迫力と明瞭さが半減したように感じました。それでも、ご著書「声を限りに蝉が哭く」にサインをお願いしたところ、しっかりした文字で署名くださいました。それから約一ヶ月後の11月19日(金)、私的な事になりますが、わたくしと家内が38回目の結婚記念日を祝って都心で食事して帰宅すると、先生からの留守電が入っていました。「折返し電話下さい」とのメッセ-ジ。既に夜11時近くでしたので、翌朝ご自宅へ電話を入れました。直ぐに応答され10分間位でしょうか、お話ししました。それが先生のお声を聞いた最後となりました。 合掌