担当しているトレーナー達が、訓練や日常の中で気づいたことを綴っていきます。
かつて未来塾主催の日本語ディベート大会(*)が毎年一回開かれていました。その年の論題を決めて大会への参加募集を外部に対して行い、4~5チームがエントリー、それに合わせて未来塾の中でも数チームつくり、8もしくは10チームで対戦できるように準備。大会当日の抽選で対戦相手が決まり、午前中予選、午後決勝戦を行うといった段取りでした。
わたくしが最も印象に残っているのは、論題が「わが国は陪審制を再び導入すべし」の大会です。わたくし自身、未来塾のあるチームに所属して準備を進めていましたが、大会直前になって新たに1チーム作らなければならなくなり、それまでの仲間と離れ、同様に塾の別チームから別れてきたYさんと新チームを組みました。
さて大会当日のこと、我がチームは速成ではありましたが運よく予選を勝ち抜き、午後の決勝戦に出ることになりました。対戦相手はなんと私が数日前まで所属していたチームで、未来塾同士の戦いです。開始まで後5分程、わたくしは呼吸を整えるため化粧室へ向かいました。途中、対戦相手が直前準備の打ち合わせをしている所を通過しました。
その時相手チームのリーダー格のTさんと目が合いました。わたくしは目で会釈し、一言挨拶でもと思って少し近づきました。その瞬間、彼女はわたくしを少し睨むようにして、両手を広げて彼女のチームメイト2人と打ち合わせに使っていたテーブルを隠すような動作をしました。まるで「何しに来たの、偵察でもするつもり?」といった感じで。わたくしは、「あっそうか、今や敵同士なんだ。」と認識を新たにしたのです。
決勝戦が終わりました。審査員は未だ討議中で、間もなく判定が出ようかというときでした。直ぐ前の席に中津先生が座っていましたが、くるっと上半身を回してあの特徴のある目でわたくしを見て一言、「優勝したら何奢ってくれる?」。何の「な」、奢っての「お」、くれるの「れ」にアクセントのある大阪弁でした。余りに突然でしたし、わたくしは決勝戦の熱さめやらぬ中、ただびっくり。でも優勝チームのみが受け取ることができた賞金で先生に「何を奢るか」については杞憂に終わりました。審査員3人の判定は、2対1で相手チームの勝ちでしたので。
帰路、わたくしはチームメイトのYさんと地下鉄のホームで、電車が来るのを待っていました。ベンチに座ったYさんは準優勝の賞状を見ていました。突然彼女はそれを荒々しく筒状に丸めました。まるでそのままゴミ箱に捨てるかのようにして。彼女は確か前年の大会でも準優勝でした。今回は期するものがあったのでしょう。それが優勝を逃して悔しかったに違いありません。わたくしはと言えば、悔しさはありましたが、速成チームにもかかわらず決勝まで進み、戦い終えた充実感の方が勝っていた気がします。
いずれにしても、わたくしにとって、様々な人間模様を見たディベート大会でした。
(*)未来塾日本語ディベート大会:未来塾が主催し、バベル翻訳・外語学院(現バベル)および日本ディベート協議会の後援のもとに、1990年の第1回より1997年の第8回まで毎年開催した。ディベートと言えば英語でやるものという通念を覆し、日本語で行うディベート大会のさきがけとなった画期的な大会。