ウラジオストク訪問記 中津先生が子供の頃過ごした街を歩く (1)

投稿日:2013年7月3日

昨年(2012年)の10月に、今は亡き中津先生が子供の頃過ごしたウラジオストクを訪れました。きっかけは、毎日新聞に掲載されたウラジオストクで働く日本人を紹介する記事に、大阪未来塾のOGであるCさんの目が留まったことです。一人の男性が、日本人がかつて建てたという古びた木造の洋風建築の前で立っている写真とともに、この建物の一室を事務所として借り、旅行業などを営んでいることが紹介されていたのです。

Cさんは、この写真の男性でなく、建物を見てピンとくるものがありました。
これは中津先生にゆかりのある建物ではないか!もう壊されているだろうと思っていたけど、まだあったんだ!できれば実物を見たい!

そんな強烈な思いにとらわれたCさんは、すぐにその記事に紹介されていた日本人~井上大樹さん~のメールアドレスに連絡しました。事情を説明しウラジオストク行を相談すると、協力していただけることになり、とんとん拍子に旅行の日程が決定。10月の初めに3泊4日の日程で訪れることになり、お誘いを受けた私は便乗。もう一人、先生の弟子の一人であったYさんも加わり、熟女3人の旅が実現したのでした。

実はこの3人、この半年前に大阪でランチを一緒にする機会があり、その時の雑談で「ウラジオストクに行ってみたいね」なんて話していたのです。このような夢想話は、時間が経つうちにたいていうやむやと霧散してしまいがちですが、Cさんの情熱は並ではなかった!彼女の思いと実行力がなければ実現には至らなかっただろうと今になっても思います。

さて、調べてみると、成田空港からウラジオストクまではわずか2時間20分の飛行です。が、ロシアに入国するにはビザが必要。出発日まで2週間程しか時間がありません。パスポートが切れていた私は、大急ぎで申請。1週間後にパスポートを受け取り、その翌日にロシア大使館に行きビザを申請し、出発日の前日に無事にビザを受け取った時は、月並みなたとえですが、危ない橋を無事渡り終えたような心境になりました。

ウラジオストク滞在をお世話してくださることになった井上さんから、出発日数日前になって、彼がネット経由で日本の業者から購入したプリンターを持参して来てほしい、との依頼のメールが届きました。むむむ・・・。まだ会ったこともない私に依頼してくるとは、相当の厚顔か、よほど困っているかです。手荷物は20㎏までは無料です。運ぶのが大変だけれど、これも海外で頑張っている若者の人助け、と快く引き受けたのでした。

そして、10月5日、大阪から成田空港に飛んできた二人と合流。お天気にも恵まれて、予定通りウラジオストク空港に夕方8時ごろ到着したのですが、迎えに来るはずの井上さんが、30分待っても来ません。Cさんの携帯電話の番号を知らせてあるのですが、連絡もありません。私達3人は人気の少なくなっただだっ広い空港の1階のフロアで、このまま待っていていいのだろうかと、だんだんと不安になっていったのでした。

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午後8時頃のウラジオストク空港の空と滑走路。飛行機を降りて空港ビルに向かう時に撮影

(続く)

<ぽんちゃん>