Awareness

投稿日:2013年3月31日

いきなりですが中津燎子著『英語と運命』から引用します。P.325からです。

「awareness(油断がないこと)」
日本語では、決してミスをしない広汎な「注意力の持続」ということになる。

今回はこのawarenessについて少し考えてみます。より正確には、awarenessということばを通して、当塾の訓練目的を見てみると言った方がいいでしょう。

かつて、中津先生が「異文化お互い様リスト」(*)のワープロ化に取り組まれ、わたくしがその作業のお手伝いをしていた頃(1990年代初頭か?)と記憶していますが、当塾の活動を英語で表現するとどうなるかとの話題になりました。先生は、上記のawarenessを使い、更に「未来塾」の部分としてMirai Instituteを付け加えて、全体でMirai Institute of Cross-Cultural Awareness Training と表現されました。

以来、わたくしは当塾について、「異文化間に存在する様々な障壁に気付き、それへの的確な対応を図るため」の訓練所といった捉え方で長年過ごしてきました。しかしawarenessを単に「気付き」程度で捉えていては全くの認識不足で、冒頭の引用にあるように、「油断がない」「決してミスをしない」「注意力の持続」を含んだ、簡単には和訳できない言葉なのだと、ようやく最近になってわかってきました。『英語と運命』を読んでいながらの体(てい)たらくで、自分でも恥ずかしくなります。

再び『英語と運命』P.325(最後の4行)からの引用です。少し長めですがawarenessの更なる説明であり、わたくしは当塾の訓練目的に直接的に関わる事項がこの中に含まれていると思います。

何事も決して見落とさず、見逃さないまま最初から最後まで冷静で、かつ鋭敏さを維持できるのは特殊才能の一つである。この才能の特色は自分の「知覚世界」に入るすべての事物の動きを瞬時にアタマに記録し、次に起こるであろうことを予測するための「分析」を次々と開始している、いい意味での「抜け目のなさ」にある。

 音声訓練やディベート導入訓練を通して、異文化対応(例えば、カタカナ音から英語音作りへ、また単なる主観的・感情的な主張から証拠を伴った客観的・論理的な主張へ等)の術(すべ)を学びます。毎回のレッスンは2~3時間でしかありませんが、上述の「特殊才能」は訓練を通して、誰でもある程度は身に付けられるものであり、強い動機と意志があればその力(才能)に磨きをかけていけるとわたくしは信じます。

来る4月13日に今年度の初級コースが開講しますが、受講生の方(6名)と共に、わたくしたちトレーナーも自らのawareness向上を目指して励むことになります。

*「異文化お互い様リスト」については、2010.12.16付ブログ「未来塾の目指すもの、Dual Life」参照

<ナガちゃん>