“I”の重み

投稿日:2010年8月11日

当塾のパンフレットに、「“I”は『私』と同じではありません。」という文句があります。パンフレットを見られて、これは何だと疑問に思われた方もいると思います。この一文が何を意味しているか、分かりましたか。わたくしの実感でも、“I”と「私」の間には想像以上に大きな開きがありそうです。

 

わたくしが“I”に圧倒されたのは、1980年代の初め、出張でシカゴに行ったときのことです。まだ未来塾の訓練を受ける前でした。とあるショッピング・モ-ルの建物から、5,6歳の男の子が出てきました。両親と一緒だったと思います。わたくしはその建物に入るところで、すれ違うほんの数秒間に、その男の子は“I”で始まるセンテンスを数回口にしました。私の耳に“I”が、数秒ごとに飛び込んできました。何か一生懸命、親に向かって主張していたのだと思います。成りは未だ小さいのに、その迫力はかなりのもので、深く印象に残りました。

 

この出来事から6~7年経過した頃、未来塾に入りました。アルファベットから単語へと音作りが進みましたが、息と声を一体で出す(未来塾で言う)「アタック」の感覚がつかめず、特に“I”がうまくできません。タイミングがずれる、息の出方が足りない。10ヶ月の初級訓練を終え、次の中級の前半で課題文であった“I have a dream”の練習に入り、ようやく英語らしい“I”を少し出せるようになりました。

 

3年目からトレイナーの見習いとなり、以来何回となくスピーチ・デモを行い、“I have a dream”も繰り返しやってきました。それでも、常に不満が残るのはこの「私」ならぬ“I”なのです。主張力が弱い、聴衆に与えるインパクトが足りない、スピーカーとしての自分の存在をはっきりと示せない、そんな苛立ち感が残ります。英語の “I”は日本語の「私」に比べ、遥かに存在感があり、自己主張が強いのです。

 

そこで、むしろ“I”と「私」は異質と捉え、対処する方が易しいのではと考えます。日本語を話すとき、日本文化の中にいるときは見えにくい「私」でもかまいません。その方が、うまく行く場合さえあるでしょう。でも、英語を使って異文化の人へ自己のメッセージを伝える際は、“I”への切り替えが絶対必要です。未来塾の訓練で、その切り替えがかなり出来やすくなるものと思っています。

 <ナガちゃん>