余白と間(ま)

投稿日:2013年2月27日

今回のブログでは、かきことばにとっての余白、はなしことばにとっての間(ま)、それぞれがとても大切であると主張したいと思います。まず余白についてですが、わたくしはもともと目が強くなく、例えばA4にびっしりと書き込まれた文章などに接すると、即座に拒絶反応が生じます。段落を含めて適度な余白があると、ほっとして読む意欲が出てきます。従って、自分がブログを書く場合にも、できるだけ6行程度で一つのパラグラフを終えるよう心がけています。

同様に、はなしことばの場合、(そしてこれが当塾の訓練との関係では主要点になるのですが)、間を如何に的確に取るかが聞き手の理解を促進する上で、とても大切なのです。すなわち、話し手である自分を客観的にとらえ、自らのしゃべりが聞き手へどのように伝わっているか考える、その際に間を無視しては成り立たないと思います。以前のブログで述べましたが、かつてわたくしは早口を誇りにしていた時期がありました。それは全く相手(聞き手)無視の傲慢であると40歳を過ぎて気付いたのです。わたくしの訓練成果の一つでした(*)。

早口とは「しゃべりかたが速いこと」であると、手元の字引(岩波国語辞典、第五版)にあります。物理的なスピードが速い、または息遣いを含めたしゃべりかたが聞き手にとって速く聞こえるということだと思います。ここで、わたくしは早口をコントロールする上で欠かせない術が、間の取り方にあると述べたいです。たとえ早口の傾向は基本的に変わらなくとも、間を的確に取ることで聞き手の印象はかなり異なってくるはずです。

「急がば回れ」とか「急いてはことを仕損じる」いった諺があります。他者への話しかけの際、一呼吸置いて相手がどのような状態にあるか一瞬でもいいから確認して始める。また、しゃべりの途中でも、それが聞き手にどのように伝わっているか、第三者の目で観察し、要すれば間(ま)を少し置くことで相手の関心を再度向けてもらう。このようなちょっとした配慮で、コミュニケーションが深まるに違いありません。

余白と間、一方は紙の上のスペース、他方は時間的なポーズ、一見関係ないように見えますが、自己の客観化とそれに基づく他者への思いやりという点で、両者には共通するものがあると言えるでしょう。わたくしの場合、当塾の発音訓練を通して間の大切さに気付き、それが余白についても考えることに繋がったと感じます。

*参考ブログ:「相手(聞き手)無視の早口」(2010.11.17)

<ナガちゃん>