日本式流暢英語が通じないのは?【中津燎子のエッセイ】

日本観察日記

英語をどこまで仕上げればいいの?

英語を学習するときの到達点ですが、みなさんにお聞きしたいのは、 英語をどこまでやったら気が済むんだろう、ということなんです。私には一応、自分として尺度があって、この10年ぐらい変わってないんです。

どの外国語、例えばモンゴル語をやろうとしても、韓国語をやろうとしても、フランス語をやろうとしても、まず文法ありきですね。その次にその言語独特の発音、どこの言語も全く同じ発音はしてませんので。
その次に、その2つを足したものの背後に文化って言うものがある。いわゆるcultural styleというのがあるんです。ここで私の尺度ですが、文法は50%でよろしい、発音も50%でよろしい、つまり自分の母国語と習った外国語の差がつけば、それでよろしい。外国語の中でもフランス語ならフランス語、モンゴルならモンゴルというアイデンティティがはっきりすればそれでよろしい。ただし、文化への理解に限り200%やってもらわないと21世紀は生きられない、ということなんです。

20世紀というのは文法100に発音100で、文化なんてどうでもよかったんでしょうね。なぜかというと、20世紀の人間にとって、言語というのは良いとこ取りで、旅行の趣味ぐらいでやってたんじゃないか。でなければ植民地で言うこと聞かせるための言葉であって、対等のつき合いというものを考えたことがない時代が20世紀じゃなかったかと思います。そして気に入らなきゃドンパチ始めますので勝負が早いわけです。すぐに戦争になりますんで。

でも21世紀は明らかに違って、仲良くやっていかなければならない。それには文化を200%やらなければすぐ戦争になっちゃう。文化の中に宗教が入りますからね。イスラム教にしてもキリスト教にしても、宗教の凄みというのはすごいですよね。
要するに、到達点としては文法50%、発音50%の仕上がりでいいんじゃないでしょうか。文法の中で基盤の構造だけ覚えればよろしい。発音は母音と子音、例えば日本語だったら、日本語に無い音を重点的にこうだと耳で聞かせ、自分でやってみるということをすればそれでよろしい。100%できなくてもよろしい。ただし、文化だけは絶対に誤魔化さないでキッチリやらないと必ず戦争が起きるだろう、というふうに私は思っております。

<講演会“中津燎子の異文化サバイバル 第4回 「子供と英語 Part1」”(2001/5/26)より>