日本式流暢英語が通じないのは?【中津燎子のエッセイ】

日本観察日記

呼吸と英語の関係(その1)

呼吸は英語の発音の原動力である。
英語だけでなく、もちろん日本語をしゃべる時にも必らず呼吸をする。それなのに何故わざわざ英語の原動力だと明記したかと言うと日本人が日本語をしゃべる時の呼吸法と、英米人が英語をしゃべる時の呼吸法が大変違うからである。

日本語の場合、原動力とは到底言えない程呼吸と音の関係が密接ではない。つまり、吐いたり吸ったりする呼吸と無関係に発声される。もちろん息をしていなければ声をだすどころではないが。
「あのね……」
と最初に呼びかける時を考えて貰いたい。
吸った息をはいて一秒か二秒の間をおいて「あのね」のあの音が出てくる。最初の呼びかけの時ですら、いつ息を吸っていつ息を吐いたか、殆ど無意識のうちに勝手な時に声を出す。これがふつうの日本人がしゃべる時の呼吸と発声の関係である。

ところが英語はこれとまるで反対である。英米人、ヨーロッパ、中国、南米の各民族のしゃべり方を気をつけてよく見ると、殆ど息を吐く時に声を出す方式でしゃべっている。一息吸ってハッと吐くのと声を出すのが同時だ。日本人の世界では、歌う時、どなる時あるいはかけ声の時の発声のような方式だ。しかし西洋人(常識的な意味での)はごくふつうにしゃべる時がこのやり方で、声量とか強弱に関係ない。
そこで英米人がこう言う英語式の呼吸のまま日本語をしゃべると、だいたい朗々と明瞭にきこえて大変ききとりに楽だ。間違っている時も鮮明にわかる。

反対に日本人が日本式の呼吸のまま英語をしゃべるとたちまち息が不足してして来る。100の呼吸量があったとしたら、吐き出して60位になった時から英語をしゃべり出し、息つぎも日本語と同じく意識してやっていないので、当然、文章の中の音と音の連結点が非常に軽く不鮮明で先ばかり急ぐ。さもないと本当に息つぎから息つぎの間で息が足りなくて苦しくなる。私の観察では英語が日本式に流暢な人であればある程無意識にその息つぎの間を早めて、全体の文章に必要な呼吸量を小規模に目立たぬように補給するのが上手だ。

結果として全体が常にやわらかに口の中で消えているような音声で流れるようにしゃべらなければならないであろう。本人はちゃんと発音したつもりでいても、呼吸の基本分量が不足していて唇の外に出てこないのだ。短い言葉のNOとか、GOと言うのでさえなかなかはっきりしない。

<著作「呼吸と音とくちびると」13頁より>