発音は、口、そのまわりの筋肉、そして舌を、直接動かして作られる。その分析を抜きにして、外人の発音テープを何万回繰り返し聞いても、それだけでは音はできない。外国語の音というのは、いつの間にやら自然と覚えこんだ母国語とはまったく別のものだからである。
私はかれこれ十年以上、英語の発音訓練指導なるものを実際にやってきたが、その訓練中にいつも突き当たる壁は、多くの訓練生がもっている「自然現象的外国語発音能力開発」という考え方だった。つまり、慣れればできる、という幻想である。
私が、 「外国語の音は、母国語の音とは全く別のものである」
と言うと、
「そりゃそうでしょう」
と誰もが賛成する。しかし、
「だから、外国語の音は自分で人工的に作るものなのですよ」
と続けると、途端に、
「ほんと?」
と疑り深い目つきになる。
もちろん幼児ならば、母国語も外国語もあったものではなく、いつの間にやらちゃんと覚えこむ。風に吹かれて草がなびくと変りない。
しかし、ある程度の年齢になり、母国語とその国の文化様式が身についてしまった人の場合、異質の言語や文化を学ぶときに、”人工的”な作業をしなければならないというのは当たり前のことだろう。外国語や外国文化を自然に身につけるなんてことが、できるはずがない。もしあるとしたら、どこかウソの部分を身につけたに違いない、というのが私のいつわらざる実感である。
そこで人工的に音を作る訓練に入るが、私は外国語の学習能力というものを「聴力」三分の一、「視力」三分の一、「分析力」三分の一、とわけて考えている。
「よく耳で聞き、目で確かめ、そして、しっかり分析すること」
この三条件がバランスよく満たされていれば、これは外国語の発音だけではなく、ほかのことでもうまくゆくに違いない。
<著作「未来塾って、何?」43頁より>