日本式流暢英語が通じないのは?【中津燎子のエッセイ】

日本観察日記

“I”は英語スピーチの基本

“I”というのは、英語の中で最高の単語なんですね。
“I”と誰の前でも言えるようにならなければ英語にならない。その“I”を言えないんですよ、日本人の99%は。なぜかというと日本語に“I”がないから。自分を出す「わたくし」というのがないんです。出したとしても、へりくだる“I”です、打ち出す“I”ではないわけ。恐縮の分量っていうのを絶対緩めないんです。それをほっておくと、英語では“I”と言っているのに、恐縮する心持ちが“I”の発音に入ってくるわけです。自分では恐縮と思ってないんですよ。これはもう持って生まれた我が文化ですのでね。そこのところをはっきりと、英語はコレ、日本語の場合はコレっていう風にね、使い分けるっていうセンスを持たなくちゃいけない。

スピーチでは、“I”という人物が、“You”っていう聴衆、この人たちにメッセージを渡しているわけです。そうすると、この“I”というのは基本なんです。自分がこれを言う、あなたに言う。常にそのスタンスをはっきりと掴んだ表現でないと言いたい事が伝わりません。

アメリカで学校に行くと、朝から晩までスピーチをやらされるっていう感じなんです。その要領はね、とにかく誰がしゃべるのか、誰にしゃべるのか、何を、そこをハッキリさせるわけです。そうすると、こちらは外国人ですので大体みんな間口を広げて聞いてくれるんで、それをキレイに戦略的に利用するんです。我々は第二言語としてやってるんだから、それでベストを尽くすという態度さえあれば、どんな外国人だって聞く耳を持ってますから。その代わりこちらは100%ベストを尽くさなくちゃいけない。そこで日本人のカルチャーである「恐縮ですが、恐れ入りますが」が入ってくると、できないんですよ。スピーチしても、全体的に「私は取るに足り無いものでございますが…」なんていうのが音声に入ってきた場合に、相手がいくら間口を広げても聞く熱意を失っちゃうんですね。受け入れる根気が無いっていうか。

だから居ながらにしてパフォーマンスをね、英語色と日本語色は混ざらないと思ってハッキリ使い分けないと。22世紀くらいには日本のカラーが世界に行くかもしれませんけど、とても100年待てないので。さしあたっては覚悟しなくてはいけない。

<スピーチ訓練時の発言(2000/12/2)より>