いつも考えるのですが、”英語の発音”については、平均して皆さんに何か大きな錯覚があるような気がするんです。
それは、声帯模写式ものまねと、発音訓練がごっちゃになっていることなんです。
模写はどこまでいっても模写なのであって、自分の音声の一部とはなりにくいのですよ。
私の発音訓練は、最初から模写を禁止するやり方ですので、訓練生はアルファベットの段階で、否応なくそれまでに英語の発音訓練に抱いていた意識の変革を要求されるわけです。この意識の変革は、口のまわりの筋肉や舌を動かす以上に困難なことです。一度声帯模写式ものまね法を身につけると、それから脱却するのに、ほんとうに時間とエネルギーがかかりますねえ。でも、私としてはどうしても譲れない”原点”なんですよ。声帯模写方式でやりますと、必ず言語として機能できない壁に突き当るからなのです。
それともう一つ、条件反射の方式で訓練すると、ある条件下でないとうまくいかなくなるようですね。極く最初の部分、つまりスタートあたりではやり方がよく似ているので、発音訓練と声帯模写式ものまね、言語訓練と条件反射方式訓練とが、どうもごっちゃにされて、同じもののように考えられてしまったらしいんですよ。でも、似ていることは同じではないんです。
<著作「異文化のはざまで」135頁より>