日本式流暢英語が通じないのは?【中津燎子のエッセイ】

日本観察日記

『質問』をワクにはめ込む文化パターン

日本以外の国、というとおおげさかもしれないが、およそ日本以外の、特に西欧で、質問を封じる、という文化パターンを持っている所は少ない。
疑問、質問は基本的人権であり、常識である。ただし、政治がからんで来る時は別だ。独裁者は真っ先に、人々の質問封じにとりかかる。だから、「独裁」なのだ。

日本では文化スタイルとして、あまり質問しない。子供たちに自由に疑問を持たせるような教育方法も行われていない。疑問や質問は、きちんとした枠の中で、所定の規則にのっとって発表されるが、答えもまた枠の中の規則どおりに文章が並ぶ。
すきあらば、台本にない鋭い質問をしよう、などと思うのは、心得ちがいなのである。強烈な独裁者がいて、疑問の表明を許可せず、違反したら処刑される、というのでもないが、文化全体、社会全体、そして一人一人の意識の中に、
「質問封じ」
というエリアがある。

人間にとって、独裁者の質問禁止と、住む社会の質問忌避文化とは、どちらがより重いだろうか?ときどき考えてみるが、どちらも同じようなマイナスがあるのではなかろうか。
私は独裁者スターリン全盛時代の重苦しいソ連から帰国してきたわけだが、一般にロシア人はその体制下であるがゆえに、疑問が根深く住みついていて、日常生活でも、処刑までいかない限界で、質問はくりかえされていたようだ。私もその程度なみの質問癖を持って帰ってきて、たちまち衝突した。
まったくの質問禁止ならまだわかりやすいが、ある規制の枠の中だけよろしい、ということになると、どこかにその規制条例が公表されていない限り、外部から来た人間は困る。

私が今でも記憶しているのは、
「外国育ちなんだから、わからないことがたくさんあるだろう。何でも遠慮せずに聞きなさい。教えてあげるからね」
と、大変理解のある大人に限って、私が質問した内容について、突如、
「そんなこともわからないのか!」
と、怒り出すパターンが多かったことだ。

後年アメリカで、火花の散るような、大統領や政治家の記者会見の報道を見聞きして、日本では決して起こらないだろうなア、と思った。つまり、質問そのものが規制された枠の中に揃えられていなければならないのである。アメリカから連れ帰った私の息子も、していい質問と、してはならぬ質問をおぼえこむのに時間がかかった。私と同じ体験であった。

<著作「BUTとけれども考」188頁より>