夏が来れば、思い出す♪

投稿日:2012年8月22日

夏まっさかりの時期になると思い出す出来事があります。それは中津燎子先生が東京で1998年7月の末に開いた夏期英語集中講座で起こったことです。
 
この集中講座は、社会人を対象に夜6時から9時の時間帯で3日間の日程で開催されました。講座の内容は未来塾が1年間かけて行うレッスン内容を凝縮したものでした。20人くらいの参加者のほとんどの方々は、昼間仕事をしてから講座に参加されていました。当時、サブトレーナーとして講座の観察をしていた私は、暑くて湿った夜の大気に疲れを感じつつ、こんな時でも講座に参加される皆さんの熱心さに感心していました。

講座初日の冒頭、中津先生が各参加者に、受講目的を尋ねていた時のことでした。20歳代の女性が話しながら、泣き出してしまったのです。その女性は、アメリカの大学に留学していて、夏休みを利用して日本に帰国し、講座に参加していました。泣きながら、彼女が訴えたことは、「留学先で自分が話す英語が通じず、相手にしてもらえない」ということでした。私には彼女が一生懸命英語の勉強をして、やっとアメリカ留学という夢を実現。ところが、自分が話す英語が通じず、希望を失い、孤立感を深めた心中を吐露したように見えました。
 
中津先生は彼女をじっと見つめ、黙って話を終えるのを待っていました。そして切り出しました。「日本にいるネイティブの人達は日本人のカタカナ英語を理解してくれる。しかしアメリカに住んでいるアメリカ人にはカタカナ英語は理解できない。何を言っているのか理解できない人を、彼らは相手にしない」という内容をきっぱりと言いました。先生はこのような日本人留学生を何人もアメリカ滞在中に見てきたようで、その経験から事実として冷静に伝えていました。
 
その日の講座が終了すると、先生は彼女を呼び、あと何日間で留学先へ戻らなければならないのかを確認し、講座での英語の音作りをしっかり覚えるよう励ましました。さらに、留学先に戻る日まで個人指導を行ってもよいと提案していました。その後、実際に個人指導まで行ったかどうか、そして留学先で彼女が話す英語が通じるようになったどうか、確認できてはいませんが、講座修了時、カタカナ英語から脱却しつつあったことを思うと、きっと通じる英語音を作れるようになったに違いない、と確信しています。
 
私の記憶には、中津先生がその後私たちサブトレーナーに語った言葉が、宝物のように残っています。それは、「たとえ数日間の講座で英語の音が身につかなくても、作り方を分かっていることがまずは重要である」ということです。
私はこれを聞いて、確信しました。英語の音の作り方を学び、その音を実際に聞いたことがあれば、日本で育った日本人でも、日本を出たとき、通じる英語音を作っていくのは十分可能であると。
 

オサリン