中津先生の経歴〜9年毎の変節の不思議〜

投稿日:2011年12月11日

中津先生が今年6月に亡くなられ、その経歴を見て気づいたことがあります。それはほぼ9年を一つの周期として大きな節目を迎えられていく事実でした。大まかにその経歴を記してみます。
 
1925(大正14年)福岡に生まれる
1928~1937 ウラジオストック在住
1937~1945 日本に帰国し戦時下を生きる
1948~1956 GHQ(福岡)で電話交換手として働く
1956~1965 米国で暮らす
1965~1974 帰国し盛岡で暮らす
1974 『なんで英語やるの?』で第五回大宅賞受賞
1975~1982 発音研究会時代*
1982~1999 未来塾塾長
 
9年前後で生きる環境や活動の内容が変わっていくのがお分かりになると思います。こだわりすぎと言われるかもしれませんが、わたくしは単なる偶然と言い切ることに躊躇を覚えます。発音を含めた異文化対応訓練において、常に「変化」の重要性を述べられていた先生らしいと感じます。その経歴を通して、身を以てご自分の「変化」「変節」をわたくしたちに提示されている気がするのですが、皆さんはどうお思いになりますか。
 
わたくしは1988年の秋に入塾しましたので、それからの先生の動きはつぶさに存じています。上記の塾長時代は全体では17年ですが、1991年夏のロシア再訪を境にして、未来塾前期と後期に分けられるのではないかと、わたくしは感じています。前期は大阪での塾の立ち上げから、訓練の最盛期までの約9年、後期はその後閉塾までの約9年です。ロシア再訪の後先生は、ひたすら塾を閉じるタイミングを探られていた気がします。すなわち、塾長時代の期間についても、9年毎の変節が起きていると言えるのです。
 
今年2011年は間もなく終わります。3月の東北大地震、その影響でわたくしどもの訓練も一月遅れて何とかスタートしました。それから3か月後の6月15日に中津先生逝去の報に接します。更には、これは私的なことで誠に恐縮ですが、11月29日にわたくしは母を91歳3か月で看取りました。ここ5,6年はパーキンソン病等で最後の数か月を除き自宅介護を続けていました。
2012年、少しでも良い年になるように祈らざるを得ません。
 
発音研究会時代* :英語教師を対象に発音訓練活動をされていた時代

<ナガちゃん>