二束三文の “are”

投稿日:2010年2月14日

まず次の三つの短い文を見ていただきたい。と同時に、是非口に出して発音してみてください。

 
(1) “We all want to help one another. Human beings are like that.”
(2) “We hold these truths to be self-evident, that all men are created
equal.”
(3) “Again, we are tested. And again, we must answer history’s call.”

 
上の三つの引用文全てに 存在するare を皆さんはどのように発音されたでしょうか。手の指2~3本が縦に口に入るぐらい、しっかり開きましたか。
(1)(2)(3)の文章とも、話し手の意思をスピ-チとして、聞き手である聴衆へ伝えるには、areの存在をしっかり示す必要があります。しかしながら、この大事なareをぞんざいに、もしくは軽く、あるかなきかの如く発音してしまうのが私達日本人の常です。
このような時に、中津燎子はしばしば「そのareは二束三文だよ」とコメントしていました。
存在を表す重みのあるareを発音するには、前述した口の縦開きが欠かせません。念押しですが、手の指が、横ではなく、に2~3本入るくらい、すなわち、3~4センチ口を縦に開いて発音します。
ちなみに、(1)と(2)は未来塾の訓練で使う定番のスピ-チであり、(3)は、今年1月27日に行われた、オバマ米国大統領の一般教書演説からの引用です。

<ナガちゃん>